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©︎山下亮一

西口賢 建築設計事務所



一級建築士 第328890号
一級建築士事務所 愛知県知事登録(い-29)第11492号

西口 賢(にしぐち けん)     1975年4月28日生


1994 愛知県立岡崎北高等学校 普通科        卒業


1999 近畿大学 理工学部 建築学科           卒業

2000 一級建築士事務所 長瀬信博建築研究所       入所

2007 一級建築士事務所 西口賢 建築設計事務所   設立

2017 第29回 すまいる愛知住宅賞        受賞

2017 第49回 中部建築賞            入選

2018 第46回 日本建築士会連合会賞      奨励賞

2019 第31回 すまいる愛知住宅賞 愛知県知事賞 大賞

2019 第51回 中部建築賞            大賞

2020 第11回 建築コンクール        最優秀賞

2020 第7回 木質建築空間デザインコンテスト  最優秀賞

2021 第52回 中部建築賞            大賞

2021 第1回 日本建築士会連合会 建築作品賞    大賞


 


2013-16 豊田工業高等専門学校 非常勤講師

2021   武蔵野美術大学 建築概論 特別講師

2021   京都鴨川建築塾 講師

2021   京都精華大学  講評会ゲストクリティック

2022  NAGOYA Archi Fes 審査員

2022-   名城大学 非常勤講師

「家を作る人」

私は愛知県のほぼ中央に位置する岡崎市に生まれ、19歳までそこで育ちました。
市内でも最北部に位置する自然豊かな地域で、24坪の建売住宅という小さな平屋に4人家族で暮らしていました。建築設計の仕事を始めて改めて暮らしてきた住まいを見つめ直すと、本当に小さな平屋で育ったんだなと感慨深く感じます。子どもの頃は弟とふたりで四畳半の部屋で過ごしていたのですから今では考えられないですね。


小学校から帰ると友達と一緒に近所の山や川に遊びに出かける日々でした。山ではカブトムシやクワガタを捕まえ、川ではザリガニやドジョウを捕まえました。蛇や蜂に遭遇すると皆で大声を上げて逃げ回った光景が今でも目に浮かびます。
一方でものを作ることが好きだったので、部屋に籠っているのも好きでした。絵を描いたり、レゴブロックで遊んだり、プラモデルに夢中になっていました。そんな子どもだったので、学校では指先から何かを作り出す美術や書道、技術家庭科などの授業が好きで、将来は何となく「家を作る人」つまり大工さんになりたいと思っていたのを覚えています。

 

高校で進学や将来の職業を考え始めた時「建築学科」という選択肢があることがわかり、やはり「家を作る人」になろうと決意しました。生まれ育った岡崎市を離れ、大学に進学すると「家を作る人」には設計する人と施工する人が分かれていたり、「建築士」という資格があることを初めて知りました。今思えば、そんなことも知らずに進学したのかという感じです。大学の授業は想像していたよりも楽しいものではありませんでしたが、友人たちと古建築や現代建築を見学に行き、実際に空間体験を重ねていくにつれ、どんどん建築の魅力に惹き込まれていきました。時代はちょうど「重・厚」な建築から「軽・薄」な建築に移行していくときでした。そして建築の「設計」に興味を持ち、意匠系の研究室に進み、卒業設計では建築だけでなく都市空間を含めた提案をしました。

 

卒業後は大学で非常勤講師をされていた先生の設計事務所でお世話になりました。実務は今まで学んできたものとは全く異なった内容で慣れるまで楽しいと感じることができませんでした。必死に調べたり学んだりして夜遅くまで図面を描き続けました。とても大変な日々でしたが、自分が担当した建築が実際に立ち現れてくると感慨深いもので、次への糧となり励んでいました。その設計事務所は「モダニズムとコートハウス」を軸とした設計が大きな特徴でした。設計は『内部空間を作る為にするのではなく、外部空間を作る為にする』のだと教えられました。つまり内部から外部を感じとる空間を作るということが重要で「中庭」を中心に構成した空間でした。



「不便さ」と「利便性」の共存

設計事務所での勤務後、岡崎市に戻り、建築士の資格を取得して独立しました。いよいよ子どもの頃に憧れていた「家を作る人」としての始まりです。当然「モダニズムとコートハウス」を軸とした設計を自身の手でも行なっていきました。そんな中、運良く弟夫妻の新居を設計する機会に恵まれ、完成後高い評価もいただき、早々に嬉しい出来事がありました。一方で何かしら物足りないものも感じてもいました。その頃、両親の終の住処を設計させてもらえる機会にも恵まれたのですが、物足りないものが一体何なのか分からないまま設計を続けていきます。


この頃、民家に興味を持ち、いろいろな地方に足を運び見学をし始めました。そこには「力強い骨格」と「深い陰翳」の美しい空間がありました。そして人間の生々しさがそのまま形になった土着的な世界に、私はハッと気付かされました。モダニズムは綺麗事の世界観であって「職人作業の熱量や、人が生きることの生々しさ」を重要視してこなかったのではないだろうか。またモダニズムは「意識の集合体」として全てをコントロールしようと現れ、コントロールできない自然と共に暮らすことを見落としてきたのではないだろうか。


そんな中、写真家 二川幸夫さんが撮影しました「日本の民家」のあとがきに出会います。二川さんは『古建築には何か満ち足りない思いがあったが、民家の中に民衆の働きと知恵の蓄積を発見し、この現在に生き続けている素晴らしい過去の遺産を、自分の手で記録しようと思いたった。』と語っています。私が長らく感じていた何かしら物足りないものを二川さんも同じように感じていたのだと驚きました。


そこでもう一度「人間と自然の間に境界はない」という生命観に立ち返り、「自然と建築」の在り方から考え直そうとしました。そもそも建築は自然から身を護るものとして屋根を架けたのが始まりでありましたし、壁は必要最低限として「透ける建築」が主流でした。そして「自然との合一」を求め、造園との関係を築き、四季と共に暮らしてきたのです。重要なのは「自然は完全に中立」なのであって、人間だけ都合の良いようにできていないというところです。しかし現代は機能的、合理的であることに拘り過ぎ、大切な「感覚の世界」である自然を排除した結果、天候に左右されない不自然な空間が都会だけでなく、郊外まで広がっています。更には狭い敷地の中で駐車場の確保が造園の領域を浸食し、開口部の少ない高気密高断熱建築が造園との関係性を削ぎ、「感覚の世界」の遮断を加速させてしまっています。経済に飲み込まれ「効率、合理性、生産性」を求めるあまり「自然との合一」を蔑ろにし、全てを人の意識で制御可能なものとして錯覚しているように思われるのです。

そうした失われたものの「再生」として、先ずは自然に対して畏敬の念を抱くこと。そして「自然から思考が始まり、次に建築を思考していくべき」であろうと考え、「不便さ」と「利便性」の共存を探っていこうと決意しました。



「荒々しさ」と「緻密さ」

ある時『建築は本来「荒々しさ」と「緻密さ」の振れ幅の中に、豊かな空間が存在するのではないだろうか』と問いかける講演会に招かれました。確かに建築が産業化される中で「荒々しさ」は嫌厭され、生活の中から失われていきました。しかし私は不均質な「荒々しさ」に魅了されるのです。きっとそこには生物の多様性が豊かさを生み出すように「消費されない唯一無二なもの、壊れるものの儚さ、いのちを知るような感覚」があるからでしょう。


もう一つ影響を受けた言葉があります。建築家 西澤文隆さんの著書「建築と庭」の中にある次のような言葉です。
『空間は頭で考える概念的なものでなく、切ったら血の出る瑞々しく受肉したものである』
これは論理的思考や小手先の技術から、心震わせる空間は生まれ得ないということでしょう。本能的、動物的な感覚に突き動かされながら設計し、施工することで生まれるはずです。


そこで両親の終の住処である「大地の家」は自然の力強さ、怖さに畏敬の念を持ちつつ、光や風の恩恵を受けた建築を追い求め、職人たちの熱量が伝わるような住まいを目指しました。
振り返ってみますと、山遊びや川遊びは自然との関係性を築くものとなっていましたし、レゴブロックやプラモデル、美術、書道は空間構成を磨くものとなっていました。技術家庭科は暮らしへの興味だったのでしょう。それら3つの要素は結果的に建築士としての職能に活かされているように思いますし、「大地の家」の設計においても大切な要素になっていたと思います。


両親には10年以上の月日を待たせた為、途中お叱りを受けましたが、今となっては笑い話で、この住まいの暮らしを楽しんでくれています。幸いにも「日本建築士会連合会 建築作品賞」において大賞をいただき、親孝行ができました。また多くの葛藤と対峙する長い時間をいただけたお陰で私自身大きく成長することができたように感じています。
これからも敷地全体、更に隣も、その向こうも、風土の中に全てが繋がり溶け合った空間を目指していきたいと考えています。